出島の生活や食事をのぞき見!鎖国時代の貿易商はつらいよ

タイホテルライター吉田彩緒莉

吉田彩緒莉

タイ大好きホテルライター

出島と聞いて知らない人は、小学校の歴史の教科書の偉人たちの顔を、アニメの主人公にしたりというアートに徹していたという、重大な理由がない限り(重大なのか?)いないのではないでしょうか?
小学生の教科書には早々に登場する長崎県長崎市内にある出島は、日本の鎖国時代に唯一外国人との貿易ができた場所。「鎖国」とはいえ、外国との貿易はしたい日本は、長崎港に小さな扇形の島を作り、貿易にやってくるオランダ人に「ここで生活しろ」と要請したのです。

広さは東側、西側ともに約70m・北側約190m・南側約233m・周囲約563m。
狭い…!

オランダ人といえば身長が高い方が多いことで有名ですが、さぞや窮屈なくらしだったのではないでしょうか?一度は彼らの生活を覗いてみたいものです。

出島内にあるミニチュア出島

しかし、修学旅行で訪れた当時「出島はこのあたりでした」とバスガイドさんに言われたその場所は、普通の市街地。みな身を乗り出して「えっ?どこどこどこ!」と首を傾げたことを覚えています。教科書に出てくる扇形の島が、そこにはなかったからです。
何年前などと、あまり詳しく書くと歳がばれるので書きませんが(笑)、驚くなかれこの出島。これだけ有名にもかかわらず、実は有料施設として見学できる程度に復元されたのは2006年4月とつい最近。さらには今のような立派な表門の橋がかけられたのは、2017年。えーっ!誰でも知っている場所なのに…。

出島長崎テーマパーク
当時は出島にわたる唯一の手段だった橋

早速、出島表門橋を渡って、鎖国中の出島にタイムスリップ!
出島は、長崎の食文化に大きな影響を与え、日本に砂糖やお菓子を広めただけではなく、元祖日本の貿易の最先端都市として、日本全体の近代化に大きく貢献した凄い島。
日々進化する長崎市の観光では絶対に外せない「リアル歴史テーマパーク」で、オランダ貿易商人の生活と、後に長崎と日本の食文化に大きな影響を与える彼らの「食」をのぞき見しようではありませんか!

いざ出島へ!キャストさんもリアル

橋を渡ると、そこには門番さん!
某千葉なのに東京というキュートなネズミさんのいるテーマパークでいうと、いきなりキャストさんが出迎えてくれる感じ?などとはしゃぎたくなりますが、彼らは架空の人物ではなく、当時の出島に実在した人。

撮影にはにこやかに答えてくれます♡

出島に住んでいるオランダ人は、この狭い島から出られる機会はごくわずか。日本人も、出島に勤務する限られた人以外は入れなかったため、非常に厳しい監視の目が光っていたのです。

左側の人は「乙名(おとな)」と出島で呼ばれていた日本人責任者。2022年の乙名さんは、出島の案内をしてくれました。出島勤務の証拠の手形をぶら下げ、手にはタブレットを持ち、昔の出島の様子を映しつつ説明をしてくれます。

King & Prince永瀬クン主演「わげもん」でも話題に

2022年1月、突如出島に出入りしたかつての日本人が脚光を浴びる出来事がありました。
NHK土曜ドラマ「わげもん」が、かつての出島の通訳の姿を描き、主演がKing & Princeの永瀬廉クンだったということもあってか「歴史に興味がないわ」という方々にまで、一躍その存在が知られることに。
今のようにしっかりとした教材がない時代に、よくぞまあ通訳レベルの語学力を身に着けたものです。

出島は今も昔もその特異な環境から、日本中にその名を知られるだけの物語を秘めた場所であり続けているのですね。

出島に入れる限られた人が付けていた手形

ミニ武家屋敷通り?よく見れば和洋折衷の建物が並ぶ出島

いざ、修学旅行で果たせなかった出島に会いに、入場~!エントランス付近は、思ったよりも武家屋敷通り感が強い印象。

乙名さんと、すれ違う修学旅行生

でもよく見てください。江戸時代にガラス窓なんてありました?
出島には、ガラス窓があったんですね。
出窓のヨーロピアンな細工やペパーミントグリーンのカラーリングも、鎖国の頃の日本にはなかったものと斬新なセンス。中世ポルトガルやスペインから独立したばかりのオランダって、昔から黄色やピンクのカラフルな建物が多かったんですよね。出島に住んでいたオランダ人は日本にいながら、なんとかオランダの生活に近い環境を得ようと努力していたのだとか。今思えば大企業の貿易商社のエリート駐在員みたいなもの。現在のそれと比較すると、切なすぎます。

見事な和洋折衷!

ガラスを使った美しい街灯もあり。もちろん当時はロウソクを使っていたはず。夜は出島の町をほんのり照らしていたのです。

江戸時代にガラスの燭台も存在

また、道の両脇には排水用の溝があり、瓦をうまく使っていますがこれも忠実に再現されたもの。小さな扇形の島は、当時の日本で最先端の町だったに違いありません。

出島とは?

有名すぎるとはいえ日本の「鎖国」前の状況を含めて出島ができるまでの背景や歴史を簡単におさらいしましょう。

出島ができた背景

ここテストに出ますよー!と日本史の先生に言われ、誰もが記憶にあるはずの1543年(天文12年)。ポルトガル人が種子島に漂着。世にいう鉄砲伝来です。そのわずか7年後には、長崎県の平戸にポルトガル船が来航。ポルトガルの執念というかパワーって凄いですね。ポルトガル船は長崎に頻繁に来航することとなり、貿易やキリスト教の布教が活発になっていきます。
当時ポルトガルは大航海時代。新たな国や大陸を発見し、貿易で巨万の富を築いていました。躍起になる気持ちはわかります。

ちなみにこちらポルトガルのベレンにある「発見のモニュメント」。ベレンから旅立った偉人たちが刻まれていて、この中にはフランシスコ・ザビエルの姿もあります。未知の海へ旅立っていった彼らはポルトガルから見ると英雄なのです。

ポルトガル側から見ると、アジアのスパイスは大変な富を生み、極東の日本は未知の国だった

その後、日本初のキリシタン大名となる大村純忠が長崎・茂木をイエズス会(ローマに総本部があるカトリックの男子修道会。フランシスコ・ザビエルも創設者のひとり)に寄進するなど、長崎県とキリスト教の距離が近しくなっていきます。

この状況が激変したのが1585年豊臣秀吉が関白になった頃からです。

秀吉はキリスト教の布教を禁止し、伴天連(バテレン)追放令を出します。それまで平戸の商館勤務のポルトガル人は長崎で自由に生活していましたが、出島が完成すると、そこへ収容されます。そしてその2年後にはポルトガル人は入国禁止となってしまいます。

その後は平戸にあったオランダ商館が、出島に移転。出島の住人はオランダ人に変わります。

なぜポルトガルは追放で、オランダは許可されたのか

同じキリスト教を信仰しているはずなのに、なぜポルトガルは追放され、オランダ人が貿易を許されたのでしょう。実はポルトガル船種子島に漂着から遅れること57年、大分県にオランダ船が漂着。その船にはのちに三浦按針として知られる、ウィリアム・アダムスも乗船していました。
ポルトガルはキリスト教でもカトリック教徒で、日本に布教をすることを目的としていましたが、オランダはプロテスタントで宗派が異なり、あくまでも貿易だけを目的に日本と交流を求めます。
そのことが時の将軍・徳川家康がオランダとの貿易を認めた理由でした。

出島のオランダ人の暮らしをカピタン部屋で学ぶ

さて!出島に話を戻しましょう。
出島でオランダ人の生活をのぞき見するなら、最も見逃せない場所こそ「カピタン部屋」。
「かぴたん」…なんかかわいい。
響きが可愛すぎる「カピタン」ですが、ポルトガル語でキャプテン(船長)の意味からきています。ひどい、オランダ語ではないのに!という当時のオランダ人の声が聞こえてきそうですが、そのまま名前を継承することになった「カピタン部屋」。出島にいるオランダ人の長「商館長」の住まいであり、日本の役人や大名が出島を訪れた時の接待の場所にも、利用されていました。

江戸時代に日本の大工さんと相談して作ったであろうカピタン部屋。大工さん、すごい!

出島に閉じ込められているのに、大名が来たら接待しているオランダ人。心から同情してしまう。でも実際に入室してみると、あら素敵!

和モダンってこれそのものじゃない?

日本には当時なかった壁紙のアートな模様も素敵

こちらのシャンデリアも当時の形を忠実に再現しているそうです。

出島のオランダ人たちの食事

貿易のために日本にやってくるオランダ人。一体、どんなものを食べていたのでしょうか?当然和食はお口に合わないということで、出島の中でも洋食を食べていました。しかもこんなに素敵なダイニングで…

最近筆者は「団地DIY」の動画にはまっているんですが、その人たちと比較にならない和室DIYが江戸時代にあったことに驚愕します。なんということでしょう!畳の上にヨーロッパのダイニングがきちんと再現されているではないですか?

意外に豪華・種類豊富な肉料理

このダイニングルームには「オランダ冬至」など特に豪華なディナーの際の料理の模型が、ずらーっと並んでいます。いやさすがオランダ人。ほぼ肉料理です。
鎖国を行っていた日本は江戸時代で、キリスト教を固く禁じていました。当然クリスマスを祝うことなどできず、彼らは日本の冬至を「オランダ冬至」と言い、こっそりクリスマスを祝っていたのです。

オランダ人たちは元日に、出島に勤務する役人や乙名、通訳の日本人を招き、こういった西洋料理でおもてなしをしました。招かれた日本人は西洋料理をお土産に自宅に持ち帰り、オランダの食文化が長崎に広まる要因を作ります。

後には長崎に住むオランダ語通訳の家でも、オランダ式の宴が行われることがあり、和洋中の料理が楽しめる長崎の名物「卓袱料理」は、このあたりの影響を大きく受けています。

ワインも並ぶ豪華な食卓

オランダ人の大好きなお肉は日本では入手できないものばかり。日本では牛や豚(当時はイノシシの場合が多かったけれども…)、馬の肉を食すことは禁じられていました。「馬⇒サクラ」「イノシシ⇒ボタン」など、お肉とばれないように花の名前をつけていたことも、こっそり馬やイノシシの肉を食す人たちの暗号。

それでも、オランダ人、お肉食べたーい!

彼らの熱い肉心を満たすのは、当時オランダの植民地だったインドネシアからの船。塩漬けの肉は船で運搬。新鮮な肉は、生きたままの牛や豚を船で連れてきて、出島で育て、必要に応じて解体。

左端の豚さんがくわえているのはオレンジではなく日本のミカンだったかも?

パンについては長崎市内に一軒のみ、出島に住むオランダ人のためにパンを焼くお店があったそうで、さすがに日常食を禁じることは、いくら厳しい幕府や長崎奉行所もできなかったのでしょう。
前菜、スープ、メインなどの料理は、なんと「出島くずねり」と呼ばれる3人の日本人料理人が行っていたそうで、オランダ人好みの味にするのは大変だったはず。彼らこそが、日本に「西洋料理」を伝えたとされています。

カピタン部屋には、かわいいミニチュアで当時の食事風景が再現されていますが、よくよく見ると、「影」の部分が見え隠れ。
給仕をしているおしゃれな服の方は、オランダ人に仕えるインドネシア人の奴隷。そして奥にいる二人の着物の女性は、長崎の丸山町の遊女です。

オランダ人の楽しみは「酒と涙と女とバドミントン」

出島に住むオランダ人は、インドネシア経由で入ってくる母国の貿易船が入り、食料や輸入品を日本へ、日本からの輸出品を積み込んだ後は、次の船が来るまで大変退屈な日々が続きます。商人たちの長であるカピタンであれば、江戸に行き、将軍のご機嫌伺いをするという江戸参府という長い旅があり、外の世界に触れる機会がありました。しかし、他のオランダ人は、狭い出島で1年以上を過ごすのです。

出島に住んでいる人はカピタンをふくめ大体15人~17人と、出島で暮らすには余裕の人数でしたが、毎日毎日同じ光景。「ここは国立監獄のようだ」と嘆いていたというから、本当にかわいそう。

まず、辛い日々を紛らわすのは今も昔も変わらない「お酒」!同じくカピタン部屋にある仕事部屋には、お酒好きのオランダ人の皆さんになくてはならないものがあります。

このソファー、アンティーク好きにとったら、たまりませんよね!

お酒で出島生活を忘れる

それこそが、かわいい瓶の入った箱。オランダ人は自分の好きなウイスキーやジンなどを瓶に詰め、箱にグラスと共に入れ持ち歩き、大切に大切にチビチビ飲んだのだとか。
ワインやジン、ウイスキーやはちみつ酒など、オランダのお酒は船が入らなければ出島に入りません。とても貴重なものだったのです。限られた空間の中、常に監視される出島での生活の憂さ晴らしに、この小箱を抱えてお酒を飲むオランダ人…お酒大好きの筆者、非常に共感するものがあります。

船が来るのを待ち焦がれた絶景のテラス

オランダを思い、時に号泣したっていいじゃない。そんな場所がこのお部屋。壁一面ガラス窓に広いテラス。今は周囲が建物に囲まれていますが、当時はこのテラスのあるお部屋は、海を見渡す絶景スポットだったのだそう。
オランダ人のセンスと、この部屋を作った日本人職人の腕には感動です。

このテラスで、母国の船が来るのを今か今かと水平線を眺めて待ち望んでいたというオランダ人。
船は1年に1回くるものの、嵐で2年来ないこともあったそうです…。大好きなお酒も、大好きなお肉も少なくなる…そんな時は、泣いたっていいよね。

また当時の日本は長崎港で中国との貿易も行っていました。中国は当時仏教が主流。日本と同じです。キリスト教を禁じられているから、狭い出島に押し込められるオランダ人から見たら、長崎の町を出歩ける中国人は羨ましい存在だったに違いありません。ここからは、そんな中国からの船も見え、ライバルを監視する場でもあったのです。

男の島・出島!遊女とのロマンスが唯一の花

出島には奥さんを伴ってきてはいけないという決まりがあり、任務の1年間は男だらけの小さな島で生活することになります。
想像しただけで健康な成人男性なら、泣き崩れるでしょう。同じオランダ人でも日本だけには行きたくないと思ったに違いありません。
そこで、先ほど触れた丸山町の遊女が登場。
出島に出入りできる限られた人であり、唯一の女性でした。シーボルトのように、真剣な恋愛に発展することもあったそうで、当時を描いた絵にも彼女たちは頻繁に登場します。

ちなみにオランダ人が遊女に砂糖やお菓子をプレゼントしたことも、長崎の町に砂糖やお菓子の文化が拡がった一翼になっています。男性はいつの世も、女性にスイートなプレゼントをさし上げたいのです♡。

もちろん健康的気晴らしも…

まったくもう、出島生活の辛さを「酒と涙と女」で紛らわせるなんて、演歌かよ!と、突っ込みたくなりますが、そんな自堕落な生活ばかりを送っていたわけではありません。もちろん体を動かす健康的なスポーツも気晴らしのひとつ。バドミントンやビリヤードなど、彼らなりの娯楽が出島の中で繰り広げられていました。

シュガーロードの出発地・出島

続いては三番蔵へ。ここには日本に砂糖が伝わっていった「シュガーロード」の出発点があります。

当時の様子が再現されている蔵内は、オランダから輸入した砂糖袋がどっさり!

日本に砂糖が大量に輸入されるようになったのは、ポルトガルとの貿易がきっかけ。オランダとの貿易に移ってからは、現代の金額で年間約24億円もの砂糖が輸入されることになります。

当時からこんなにたくさんの砂糖があったポルトガル…進んでる~!

長崎港は砂糖が直接入る港だったため、長崎県にも砂糖が拡がっていきますが、その影響は今も色濃く残り、長崎の料理はかなり甘め。お味噌汁のお味噌も甘め。当時貴重なごちそうだった砂糖を贅沢に使う料理は、最高のおもてなしだったのでしょう。
長崎の方は、料理が甘くないと「長崎の遠か」と言うのだそう。「甘みが足りないので、長崎の味ではない」…うーん、筋が入っています。

この時期、砂糖だけではなく砂糖を使ったお菓子レシピも入ってきました。ポルトガルからはカステラや、コンペイトウ、ボウロが、オランダからも他のお菓子の作り方が伝わります。
ポルトガルで元祖カステラを食べたことがありますが、パォン・デ・ローという生焼けタイプのものでした。卵の味が非常に濃く、甘さは日本の比にないほど甘い!申し訳ないですが、キーンと頭痛がするほど甘かったのを覚えています。長崎県は甘みが強い料理が多いですが、ポルトガルのほうがはるかに甘味は強め。ところ変わればお菓子も変わる…本当に面白いです。

出島に輸入された砂糖は街道を通り、京都や大阪、江戸へ運ばれていました。その街道沿いの道は「シュガーロード」と呼ばれることに。

商人がピストル所持?出島からの出土品

あまりにも見事な出島の再現に「当時のままに作られているというけれど、何を参考にしたの?ちょっと想像で作ったところもあるんじゃないの?」なんて、疑ってしまう人もいそうですが(笑)、出島からは当時の暮らしに使われた様々なものが発掘されています。

一番蔵には、出島から出土した、実際に使用されていた食器、日用品、オランダ人の持ち物が展示されています。こういったものを一つひとつ、丁寧に検証しながら出島の再現は続けられています。

出島での当時の様子を描いた絵も面白い!

中でも興味深いのは、日本の陶器の技術で「オランダ東インド会社」の紋章を入れた食器が作られていること。VOCの文字がくっきりと。出島では船で運びこめない日用品を、日本の技術でまかなっていたことがわかります。出島近辺の職人さんは、大変だったことでしょうねー…。

さらに、出島からはピストルも出土しています。
現在も銃刀法の厳しい日本人の感覚だと、役人や兵士でもない商人がピストルを持って貿易をしているって、驚きに値します。ごく普通に出土したということは、オランダに持って帰らず、捨てられてしまったということなのでしょうか。謎です。
持ち主はその後、どこを旅して、どこで亡くなったんでしょうね。ロマンを感じます。

ご主人は私を置いて、帰ってしまった…

鎖国の時代だけではない!明治期の建物も

出島のオランダ人の生活や食生活をたっぷりと知り、長崎独自の食文化が出島での貿易に大きく影響を受けたこととや、日本に砂糖や西洋のスイーツが伝わった経緯を学び、オランダが身近に感じたところで、大満足!
おっと!出島は鎖国が終わった後、どうなったかを知らなかった…。

出島といえば、イコール鎖国のイメージが強く、歴史は約200年間という認識の方も多いはず。しかし、出島の役目を終え、外国人居留地に編入されてからも、港湾改良工事で出島の形が消える明治37年までは、確かに存在してたのです。

旧長崎内外クラブ

その証拠に、出島には1903年(明治36年)に作られた「旧長崎内外クラブ」もあります。出島最後の外国人所有の洋風建築で、トーマス・ブレーク・グラバー(長崎観光スポットでもあるグラバー邸やグラバー園で知られる、1859年の長崎開港後に長崎に来住したイギリス商人)の息子、倉場富三郎氏らの尽力により建造。外国人と日本人の社交場だったこの場所は、現在は重厚な雰囲気のレストランになっています。

出島観光の合間のランチやお茶にぴったり。内装も、明治の面影を色濃く残しています。

リンゴの素朴な味をそのまま活かしたアップルタルトが美味。こちらは、甘すぎず、さくっとしたタルト生地が、とても良い相性です。

旧出島神学校

1878年(明治11年)に建てられた日本最古のキリスト教の神学校もあります。隠れキリシタンの文化が世界遺産に登録されている長崎ですが、ポルトガル人が布教したカトリックは、弾圧のために多くの方が亡くなっています。数百年後に、キリスト教の布教を禁止するために作られた鎖国の象徴である出島の中に、プロテスタントとはいえ、神学校ができるなんて、殉教した多くのキリシタンの方々の思いが報われたように思います。

かつてのオランダ人の地、出島にミッフィ

出島を去ろうとした際、ミッフィに遭遇。
そうでした!ミッフィはオランダ出身でしたね。
日本をはじめ世界中にファンの多いミッフィですが、母国のかつての貿易商たちが、祖国の船を待ちわびながら暮らした出島が、より忠実に再現されていくことを、つぶらな瞳で見守っていることでしょう。
オランダ人の皆さんにも、たくさん来てほしいですね!

ミッフィはこう見えて生誕65年…

進化することで、かつての姿に戻る珍しいリアル歴史テーマパーク

今ある施設だけでも、出島でかつて暮らしたオランダ人の暮らしや食生活、出島に出入りした日本人の面影、そして日本に砂糖やスイーツをもたらした現場を目の当たりにできるとても貴重な場所なのですが…じつはこの出島、まだまだ進化中なのです。
2022年2月現在も完全復元を目指し、すべての実在していた建造物を、もとあった場所に建て、より精巧に復元しようとしているのだとか!

進化し続けることで昔の真の姿に近づく出島…こんなに面白い場所ほかにあります?

2022年9月23日には西九州新幹線が長崎に開業。進化を続ける長崎の象徴として、シンクロする現在の出島は、長崎だけではなく日本という国を知る上でも重要な存在。教科書の中から飛びだしたリアル歴史テーマパークをぜひ体験してみてください。

誰だっ!忍者がいないとか、ショーをやっていないとか言っている人は!

ここはリアル歴史テーマパーク。当時の生活を忠実に当時を再現することで、出島と日本の近代化を体感してもらう場所です。ノンフィクションのほうが好き、歴史が好き、という方なら、1日中いても飽きないことはお約束します。

待ってるぜ!
DATA
出島
所在地:長崎県長崎市出島町6-1
入場料:大人520円/高校生200円/小・中学生100円(団体割引や年間パスポートは公式サイトをチェック)
公式サイト:出島

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タイホテルライター吉田彩緒莉

吉田彩緒莉

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