れっきとした東京都である小笠原諸島は東京23区から南に約1000〜1300kmの海上に広がっています。人々が生活する父島・母島のほか、太平洋戦争の激戦地となった硫黄島、噴火拡大を続ける西之島、はるか国境の南鳥島など約30の島々で構成されています。
いろんな島を巡りたくなりますが、一般の人が自由に旅行できる島は父島・母島のわずか2島のみ。定期航路がなく、訪れることができない島々がほとんどです。一部の島へは父島発着のツアーや出発日限定のクルーズで行けますが、滞在時間に制限があったり、上陸できない島が大半。それでも太平洋の絶海に浮かぶ島々への旅は、イメージしただけでも冒険心がくすぐられます!飛行機で簡単に飛べず限られた日程の船しかない(乗船時間24時間)「日本から世界で一番遠い場所」ともいわれる小笠原の島々をエリア別にご紹介します。
※2020年以降、新型コロナウイルスの影響によりクルーズは中止になっています
目次
小笠原諸島にはどんな島がある?
小笠原諸島は、東京から南に約1000〜1800kmの海域に連なり、約30の島々で構成されています。今回は大きく3つに分けてご紹介します。
1・小笠原群島(父島・母島など) → 自由訪島一部○
2・硫黄列島(硫黄島など)、西之島 → 自由訪島×(一般人はクルーズで周回のみ)
3・国境の島(日本最東端の沖ノ鳥島、最南端の南鳥島) → 自由訪島×
一般の人が住む有人島は、小笠原群島の父島・母島の2島のみ。硫黄島、南鳥島には自衛隊などが常駐していますが、一般の人は居住・訪問できません。
その他は現在無人ですが、太平洋戦争前には集落があった島々も。中には先史時代の遺跡があった島も。見渡す限り水平線の孤島で、どんな生活を営んでいたのでしょうか…人類って逞しい!
小笠原諸島の行き方や、何泊くらい必要かなどの情報は、以下のブログを要チェックです。
1:小笠原群島
小笠原群島は、大きく分けて3つの列島から成ります。
父島列島(父島、兄島、南島など)
母島列島(母島、姉島、妹島など)
聟(むこ)島列島(聟島、嫁島など)
この地域の主な島々には、家族を意味する名前が付いています。幕府が1675年に派遣した小笠原調査団によって命名されたとか。男系の父島・兄島、女系の母島・姉島・妹島はそれぞれ隣接していますが、婿(むこ)島、嫁島、媒(なこうど)島は微妙に離れている…というのがリアル!
父島列島
父島
小笠原の玄関口となる父島。面積は23.45㎢で東京都千代田区の約2倍、小笠原諸島では硫黄島に次ぐ2番目に大きな島です。
人口は約2000人。島内には小笠原村役場、東京都の機関である小笠原支庁があり、小笠原諸島における行政上の中心地です。宿泊施設や商店、飲食店やツアー会社なども集まる大村地区は、本土から24時間離れているとは思えない華やかな雰囲気!
とはいっても、島の大部分はダイナミックな大自然に包まれています。ボニンブルーと呼ばれる紺碧の海に、生命力豊かな植物が生茂る森…人と自然がいいバランスで共存しています。
兄島
父島の北側にある兄島は、面積7.87㎢の無人島。父島の長崎展望台などから見ることができます。自由に訪れることはできませんが、父島発着のドルフィンスイムツアーで、父島と兄島の間にある兄島海域公園でのスノーケリングを楽しめます。熱帯魚に囲まれて泳げば、自分も魚類になった気分に!
南島
父島の南西約1kmに浮かぶ神秘的な風景の南島。ドルフィンスイム、ホエールウォッチングのツアーに参加して訪れることができますが、環境保全のため、年間で入域できる期間(11月初旬〜2月初旬は入島不可)や、1日の入島者数が決まっています。波に侵食された岩のアーチ、透き通ったブルーの扇状池と眩しい白浜は、自然界が作り出した究極のアート!
白砂の上には、一面にカタツムリの殻のような物が落ちています。これは1000〜2000年前に絶滅したヒロベソカタマイマイの化石化した殻だとか。持ち帰り厳禁なので、目に焼き付けていきましょう!
母島列島
母島
父島の南50kmにある、面積約21㎢の南北に長細い亜熱帯樹木に包まれた有人島で、約500人の住民が生活しています。父島からは「ははじま丸」に乗船して約2時間。バスも信号もなく、父島よりも格段にのんびりした島です。父島・母島における最高峰・乳房山(462.6m)のハイキングや、母島列島だけに生息する固有種の鳥、メグロとの出会いを楽しめます。
姉島、妹島、姪島
周囲にある姉島・妹島・姪島へは、母島から催行されるダイビングツアーで訪れることが可能です。3島ともに明治〜太平洋戦争までは人が生活していましたが、現在は無人島になっています。
2・硫黄列島
次はなかなか訪れることができないレアな島々をご紹介します。
父島からさらに300km南に位置する硫黄三島(北硫黄島、硫黄島、南硫黄島)を含む硫黄列島と、父島の西北西130kmに位置する西之島。いずれの島も一般の人は上陸できませんが、父島発着のおがさわら丸によるクルーズや、大型客船のクルーズなどで各島の沖を周回し、島を全方向から眺めることができます。珍しい鳥も多くみられるので、バードウォッチャーの人々にも人気!
硫黄島
太平洋戦争の「硫黄島の戦い」で激戦地となり、多くの犠牲者を出した祈りの島。クリント・イーストウッド監督作の映画『硫黄島からの手紙』などでもその存在を知られます。
硫黄島の面積は約24㎢で、小笠原諸島で一番大きな島です。活発な隆起活動と地殻変動が続いており、平べったい島のあちこちから噴気が立ち上っています。「硫黄島」という名の通り、硫黄の匂いが海上にまで漂っています。
厳しい自然環境に見えますが、太平洋戦争前までは有人島でした。明治時代に硫黄採掘のため移住開拓が始まり、最盛期は1000人もの人が生活していたとか。純度が高い硫黄は火薬やマッチの原料として重宝され、またレモングラスやコカの栽培なども盛んで、島の生活は豊かだったそうです。年に6便、本土との定期船も就航していました。
しかし太平洋戦争の激化に伴い、島民は強制疎開を余儀なくされました。その後は激戦地になり、現在の硫黄島からは当時の賑わいを想像することはできません。
硫黄島には墓参や追悼式典に参加する人々は上陸可能ですが、クルーズでは洋上から島を望むのみです。船内では白い菊の花が配布され、海に向かって投げて戦没者への黙祷を捧げます。
北硫黄島
硫黄島の北80kmにある北硫黄島。断崖に囲まれた、面積約5㎢の小さな島ですが、明治24年から入植が始まり、大正時代には最大220人が暮らしていたこともあったとか。製糖工場があり、放牧も行われていたそうで、硫黄島同様に定期船が寄港していたそうです。よくぞこんな場所で人や牛が生活していたものだ…と生物の逞しさに驚きますが、なんと1世紀ごろの遺跡も発見されているとか。昔は湧水が湧いていたそうで、こう見えて(?)人が住むのに適した環境だったのかもしれません。
南硫黄島
硫黄島からさらに南に60kmの海上にある、面積約3.5㎢、東京島しょ部の最高峰(916m)の南硫黄島。人が暮らした歴史はありませんが、明治時代に函館発の船の乗組員が三人漂着し、母島の船に助けられるまで3年半も生活していたそうです。どれだけ心細かったことでしょう‥!
以降、硫黄島航路の船が、年に一度漂着者がいないか確認するようになったそうです。
西之島
父島の西130kmにある西之島は、2013年の噴火以来拡大を続ける活火山。上陸はできませんが、島に近づくクルーズが催行されることがあります。躍動感あふれる島に、地球が生きていることを体感できるはず。激しい自然環境の島で、面積は約4㎢(2020年時点)ですが、頻繁に変動しています。
3・国境の島
日本最南端&最東端の島も含む小笠原諸島。いずれの島も一般の人は訪れることはできませんが、国境の島であることから、安全保障上での重要な役割を担っています。
沖ノ鳥島
硫黄島の南西600mにある、日本最南端の島…といっても、周囲約11kmのサンゴ礁で、その姿を現すのは干潮時のみ。満潮時にはコンクリートで囲まれた直径50mの北小島、東小島のみが海面上に残ります
南鳥島
父島の東南東1300kmにある、面積約1.5㎢の日本最東端の島。明治にはアホウドリの羽毛採取とカツオ漁業のため、母島から約20人が移住し、人口が70人を超えたこともあったとか。太平洋戦争期には軍事要塞となり、約2500人が駐屯していました。現在は気象庁と海上自衛隊の施設があり、職員が在住しています。
どんだけ広いんだ?小笠原諸島!
小笠原の広さとダイナミックな大自然、そして絶海の孤島で暮らしていた人々の逞しさを感じていただけましたでしょうか。訪れることができる島は一部ですが、父島・母島への旅だけでも、その先にある絶海の島々をイメージしていただけると思います。
次は弾丸ツアーから長期でのワーケーションまで、様々な小笠原旅行のプランをご紹介します!
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