韓国ドラマはラブコメだけではありません。歴史モノもとっても面白いんです!面白くて歴史にも詳しくなるなんて一石二鳥。今回は韓国の歴史の知見を深め、よりいっそう韓国歴史ドラマを楽しむために、三国時代に覇権を争った百済の遺跡巡りのハイライトをご紹介します。『善徳女王』『帝王の娘スベクヒャン』『階伯<ケベク>』『薯童謠(ソドンヨ)』などで出てくる地名や人名にもご注目!
世界遺産「百済歴史遺跡地区 」の3つのエリア
2015年に登録された韓国の「百済歴史遺跡地区」は、三国時代に百済があった韓国南西部の南北約50Kmの範囲に点在する8つの資産で構成されています。エリアは、公州、扶余、益山です。じっくり巡ると最低でも2泊3日はかかりますが、どれか一カ所と割り切れば、ソウルから日帰りで訪れることも可能。その場合は場所によってKTXが便利な場合もありますし、高速バスが便利な場合もありますので、事前にしっかり調査しておきましょう。
三国時代と百済の遷都
4世紀から7世紀頃まで、朝鮮半島には百済・高句麗・新羅という3つの国があり、覇権争いをしていました。世界遺産に登録されている「百済歴史遺跡地区 」は、下の地図の緑色の「百済」の場所に点在しています。
百済は高句麗との戦いで漢城(ソウル)の都が陥落したため、公州に遷都します。滅亡した時の都は扶余に置かれていましたが、益山にも王都の跡が発見。遷都を繰り返したことで、日本にも影響を及ぼした仏教寺院遺跡や優美な美術品が広範囲に広がり、歴史散策が楽しいエリアになっています。
公州(コンジュ)エリア
公州(当時は熊津)は、益山・扶余・公州の中ではソウルから一番近い距離にあり、高速バスでのアクセスがおすすめ。1時間半ほどで到着するのでソウルから日帰り圏内です。また、KTX(韓国版新幹線)に公州駅があるのですが、遺跡からはかなり離れているので要注意です。
高速バスが到着する公州のバスターミナルから世界遺産のエリアまでは川を挟んですぐなので、高速バス+市バスやタクシーで移動するといいでしょう。
公州には武寧王陵やその出土品を展示する国立公州博物館、公山城などがあり、見どころが集中しているので観光しやすいのもポイントです。
公山城(コンサンソン)
公山城は都を守るために建てられた城です。実は先日韓国を襲った大水害で遺跡が水没し、見学することができなかったので薄めにご紹介します。
当時は土城だったようですが、朝鮮時代に今の姿の石城になったようです。町の中を流れる錦江(クムガン)沿いからもよく見え、夜にはライトアップも行われます。
このように至るところがビニールシートで覆われ、被害の大きさを物語っていました。2023年7月の大水害の直後に訪れたのでこのような状態ですが、そろそろ大丈夫かな…と思ったところで台風のシーズンが到来。行かれる方はご確認の上お出かけください。
DATA 公山城 所在地:280 Ungjin-ro, Ungjin-dong, Gongju-si, Chungcheongnam-do, 韓国 電話:+82-41-856-7700 時間:9:00~18:00 Web:VISIT KOREA
公州武寧王陵と王陵園(宋山里古墳群)
宋山里古墳群には現時点で10基ほどの墳墓が見つかっていますが、武寧王陵は他の古墳の排水工事をしていた時に偶然発見されたものだそうです。掘ってみると、死者を守る鎮墓獣の石像が王と王妃の眠る石室を守っていたというのですから、いろんな意味で震えますね…。
ちなみに武寧王(ムリョンワン)は、日本書紀に日本の島で生まれたという記述があります(身ごもっていた王の側室が日本の島で生んだ)。死後に亡骸を納める木棺は日本のコウヤマキで作られていたことが調査で判明しています。何かと日本との縁を感じますね。そして韓国ドラマ『帝王の娘 スベクヒャン』では、主人公の実父として描かれていた人物でもあり、百済の王様の中では比較的日本人によく知られている人物かもしれません。
こちらの展示館の中には、5・6号墳と武寧王陵が忠実に再現されていて、中に入ることもできます。
DATA 武寧王陵 所在地:35 Wangneung-ro, Gongju-si, Chungcheongnam-do, 韓国 電話:+82-41-856-3151 Web:VISIT KOREA
国立公州博物館
韓国は博物館が無料のことが多いようですね。「百済歴史遺跡地区」にある博物館にはお宝がいっぱい!しかもレプリカではなく本物!見学しないともったいない。
こちらが武寧王陵を守っていた空想上の神獣。三国時代の王陵で被葬者が判明しているのは武寧王陵だけ。被葬者の特定の決め手となったのが後ろに展示されている2枚の誌石です。
ちなみにこの神獣は、公州のあちらこちらで見かけます。しかも可愛くデフォルメされています。武寧王陵の鎮墓獣であることを知らなければ、ブタ?イノシシ?と不思議に思うかもしれません。筆者も武寧王陵と国立公州博物館を訪れてようやく「あ~、、コレだったのか!」と納得。
DATA 国立公州博物館 所在地:34 Gwangwangdanji-gil, Gongju-si, Chungcheongnam-do, 韓国 電話:+82-41-850-6300 時間:火曜日~金曜日:9:00~18:00、土曜日・日曜日・祝日:10:00~21:00 料金:無料 休館日:月曜日 Web:国立公州博物館
扶余(プヨ)
扶余(プヨ/泗沘)は公州から遷都した、百済最後の都です。滅亡時の都ということもあり、悲しい話も語り継がれています。百済は660年に滅亡しました。百済滅亡を描いたドラマと言えば『階伯<ケベク>』が有名ですよね。戦いの前に後顧の憂いを断つために妻子を殺したことが衝撃でした。ちなみに戦った相手はキム・ユシン率いる新羅軍。新羅側から見たら『善徳女王』の物語(最後の方)というわけです。
ソウルから扶余を訪れる場合にも、高速バスが便利。ソウルから扶余市外バスターミナルまで2時間少々で到着です。
扶蘇山城
扶蘇山城は白馬江の南の扶蘇山に築かれた城。平常時は宮廷の後苑として利用され、有事には防御拠点の役割を果たしたようです。
王都陥落の折には、3000人の宮女たちが岩の上から白馬江に身を投げたそうです。チョゴリを着た若い女性たちが身投げする様子は花が散るようであったと、その場所は「落花岩」と名付けられました。
ただし、3000人の…というのは当時の扶余の人口から考えると矛盾があり多少水増しされた話であるようですが、王都陥落で悲しい出来事があった場所として語り継がれています。
落花岩の上に建つ「百花亭」からは白馬江の雄大な流れが望め、観光帆船が行き交う姿も見られます。
落花岩から皐蘭寺を経由して船着き場まで5~10分程度でアクセスできますので、時間があればこの帆船もお試しください。
DATA 扶蘇山城 所在地:31 Buso-ro, Buyeo-eup, Buyeo-gun, Chungcheongnam-do, 韓国 電話:+82-41-830-2880 時間:3月~10月9:00~18:00、11月~2月9:00~17:00 Web:VISIT KOREA
定林寺址五層石塔
都の中心にあった定林寺址でも、中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ百済伽藍が見られます。
日本統治時代の発掘調査で1枚の瓦が発見されたことから、ここが「定林寺」と呼ばれていたことが判明。約80年前に瓦が発見されるまでの1400年もの間、どういった遺跡だったのかわからないままだったんですね。歴史ロマンです。
DATA 定林寺址五層石塔 所在地:254 Dongnam-ri, Buyeo-eup, Buyeo-gun, Chungcheongnam-do, 韓国 電話:+82-41-830-2880 時間:夏季(3月~10月)9:00~18:00、冬季(11月~2月)9:00~17:00 Web:定林寺址五層石塔
国立扶余博物館
定林寺址のすぐ近くにある国立扶余博物館は、ぜひとも訪れていただきたい施設。最大の見どころはこちらの「百済金銅大香炉」。稜山里寺跡から1993年に発見された百済美術の最高傑作です。
高さは61.8cmあり、頂には鳳凰がとまっていて、その下には不死の神仙や禽獣、空想上の動物などが描写され、非常に豪華。パーツを重ね合わせたのではなく、鋳型に金属を流し込んでつくられたものだとわかっています。
DATA 国立扶余博物館 所在地:5 Geumseong-ro, Buyeo-eup, Buyeo-gun, Chungcheongnam-do, 韓国 電話:+82-41-833-8562 時間:10:00~18:00 料金:無料 休館日:月曜日 Web:国立扶余博物館
益山(イクサン)
益山はソウルから一番距離がある「百済歴史遺跡地区 」ですがKTXの益山駅が利用できるので、土地勘のない観光客でも訪れやすいエリアです。益山は百済の都として数えられていませんが、近年の調査で都であったことが判明し、現在も続く調査結果が待たれる興味深いエリアです。
弥勒寺址と国立益山博物館
仏教は百済から日本に伝わり、大阪の四天王寺などでは中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ百済式伽藍配置(日本では四天王寺式伽藍配置と呼ぶ)が見られます。弥勒寺址(跡)は7世紀前半の武王時代に建てられた百済最大の寺院で、この伽藍が3つ配置された巨大なものでした。
模型の左側の塔(下の写真の弥勒寺址石塔)は、現存する国内最古・最大の石塔。
崩れかけていたものを、日本統治時代にセメントで固めて崩落を防いでいましたが、2001年から約20年かけて大規模な補修が行われました。
DATA 弥勒寺跡 所在地:97 Giyang-ri, Geumma-myeon, Iksan-si, Jeollabuk-do, 韓国 電話:+82-63-859-3873 Web:弥勒寺跡
補修に伴って、塔の内部からは煌びやかな舎利壮厳具や屋根を飾る鴟尾(しび)、金銅香炉などが発見され、歴史ファンを驚かせました。
DATA 国立益山博物館 所在地:362 Mireuksaji-ro, Geumma-myeon, Iksan-si, Jeollabuk-do, 韓国 電話:+82-63-830-0900 時間:9:00~18:00 料金:無料 閉館日:月曜日 Web:国立益山博物館
王宮里遺跡と百済王宮博物館(旧:王宮利遺跡展示館)
王宮里遺跡では、武王時代の百済末期に宮殿として造成されていたものが、それ以降に建物を取り壊して寺院を造成したものだということがわかっています。
王宮里遺跡からは約1万点の遺物が出土し、先ほどの国立益山博物館や百済王宮博物館に展示されています。上の写真の五層石塔からは、“古代ガラス製の舎利瓶の中の最高傑作”レベルのガラス製舎利瓶や金製舎利箱などの舎利荘厳具が発見されました。この舎利瓶と舎利箱は、国立益山博物館のほうに展示されているので、お見逃しなく。
DATA 王宮里遺跡 所在地:80-1 Wanggung-ri, Wanggung-myeon, Iksan-si, Jeollabuk-do, 韓国 Web:VISIT KOREA
歴史の教科書では益山が百済の王都であるとは習っていませんが、古代の都としての条件を全て兼ね備えており、「首府」と印された瓦も出土し、近年では益山が都として整備された場所であるということがわかっています。百済王宮博物館でも「首府」の瓦や写真のパネルで「百済王都」と大きくアピール。武王と縁が深いことから、武王に関する展示が多く見られます。
武王の頃にはこんなに栄えていたのに、その次の義慈王の時には滅亡だなんて、儚いものですね……。朝鮮半島の覇権争い、本当にキビシイ。『階伯<ケベク>』ではウィジャが王の時に滅亡を迎えた様子が描かれています。
DATA 百済王宮博物館(旧:王宮利遺跡展示館) 所在地:666 Gungseong-ro, Wanggung-myeon, Iksan-si, Jeollabuk-do, 韓国 電話:+82-63-859-4631 時間:9:00~18:00 休館日:月曜日 料金:無料 Web:王宮利遺跡展示館
韓国ドラマで歴史知識があれば、さらに楽しめる百済歴史遺跡地区
学校の授業では世界史の時間が苦手だったのに、韓国ドラマを観ていたら自然に知識が身についた…という人も多いのではないでしょうか。そんな人は、今回ご紹介した百済歴史遺跡地区めぐりはきっと楽しいはず!ここではご紹介しきれなかったスポットも数多くあるので、時間が許す人は2泊3日や3泊4日でじっくり観光するのがおすすめです。
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